全国のゆかりの地
1 八木重吉のふるさと 町田(東京都)、相模原(神奈川)
―重吉の幼少年時代(誕生―14才)―
- (1)重吉生家(相原大戸4473,当主八木藤雄氏【重吉の甥】)
- ・詩碑「素朴な琴」(昭和33年)
- ・八木重吉記念館【昭和59年開館】、重吉胸像【昭和63年】、墓【重吉、登美子、子供達】
- ・毎年10月26日(命日)に茶の花忌
- (2)相原幼稚園(相原4445-3)
- ・詩碑「ふるさとの川」(昭和51年)
- ・重吉当時の尋常小学校分校大戸学校跡
- (3)大戸小学校(相原3765-3)通学路沿い
- ・詩碑「ねがひ」(平成6年)
- (4)小山田桜台集会所(小山田桜台1-20)わき
- ・詩碑「素朴な琴」(平成6年頃)
- (5)川尻小学校(相模原市緑区久保沢2-22-2)
- ・詩碑「飯」(昭和51年)
- ・重吉当時の尋常小学校(5、6年及び高等科はここに通った)
2 八木重吉の勉学時代鎌倉、東京
―重吉の学生時代(14才―29才)―
ア 鎌倉の神奈川師範学校時代(14―19才)
- (1)横浜国立大学付属小、中学校
- ・神奈川県師範学校跡
- ・英語に目覚め優秀な成績を残す
- (2)日本キリスト教団鎌倉教会
- ・当時の日本メソジスト鎌倉教会
- ・重吉は日曜学校バイブルクラスに通ったことがある
- (3)小町
- ・故吉野登美子夫人住居(吉野秀雄と再婚以来ここに住む)
- (吉野秀雄は昭和42年死去、登美子夫人は平成11年死去)
イ 東京の東京高等師範時代(19―23才)
- (1)筑波大学(前東京教育大学)及び教育の森公園
- ・東京高等師範学校跡地
- ・文科第三部英語科に入学し、英語教育と英文学の学習に励む
- (2)池袋の下宿(ときわ通りのどこかにあった)
- ・スペイン風邪で寮を追われるように出た後の下宿
- ・家庭教師として登美子夫人と出会った場所
- (3)小石川白山教会
- ・重吉当時の小石川福音教会
- ・ローラーモーク女史の月曜会に通う
- (4)本郷通りの本郷から向丘にかけての付近
- ・駒込基督会跡地
- ・冨永徳磨牧師より洗礼を受ける
- (5)女子聖学院
- ・登美子夫人、桃子の母校
- ・大塚と巣鴨の間の山手線南側付近
- ・冨永徳磨牧師の自宅跡地(重吉は最初ここに冨永を訪ねた)
3 八木重吉の教師生活と詩作時代、御影、柏
―英語教師時代(23―28才)―
ア 御影時代(23―27才)
- (1)御影中学校
- ・詩碑「夕焼」
- ・御影師範学校跡地
- (2)最初の下宿
- ・当時の武庫郡住吉村山田、柴田米助方(現在御影本町2丁目)
- (3)最初の借家
- ・当時の魚崎町下松原8番屋敷松風館内(場所不明)
- (4)新婚の借家
- ・石屋川沿い、当時の申御田954(場所不明)
- (5)移った借家
- ・当時の御影町柳851(現御影中町1-2-17)
・現寺田利治氏宅
イ 柏時代(27―28才)
- (1)東葛飾高校
- ・詩碑「原っぱ」(昭和60年建立)
- ・当時の東葛飾中学
- (2)仮寓
- ・山野辺陶器店(現在「うどん市」のお店)付近
- (3)借家
- ・当時の教職員住宅(現I氏宅)
- ・詩集『秋の瞳』を出版し、草野心平らと交友
4 八木重吉の療養と終焉の地、茅ヶ崎(28―29才)
- (1)高砂緑地(美術館隣り)
- ・詩碑「蟲」(平成17年建立)
- (2)老人施設「太陽の郷」
- ・南湖院跡地
- ・結核の治療に入院
- (3)借家
- ・当時の十間坂(現在の共恵1-13-34)
- ・10月26日召天