八木重吉の詩

約三千篇の詩のほとんどは短詩であり、同じテーマでいくつかの詩が書かれている。美の追求、死の問題、信仰と詩作の葛藤、自然観、故郷、幼子無垢、かなしみ、母性、秋、 などのテーマが見えてくる。もちろんそれらは一つの詩の中に重なって出て来る場合が多いが、ここでは三つの点にしぼって、重吉の詩を語っておく。

1 美の追求

うつくしいもの
わたしみずからのなかでもいい
わたしの外の せかいでもいい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが敵であっても かまわない
及びがたくてもよい
ただ 在るということが 分かりさえすれば
ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ

この詩は、私が重吉の詩を読み始めていった時、最初に共感を覚えた詩である。「ほんとうに美しいもの」を求める重吉の心に感動した。最後の行の「これを追うにつかれたこころ」に、現実の苦悩する姿が見えるが、美を追求する心は、重吉の詩を読むと誰でも読み取れるテーマであろう。キールに心酔し、キーツの美の観念を理解していた重吉にとって、芸術的な意味での美の追求とそれに基づく詩作が、初期の詩稿には見られるが、重吉の詩全体では、重吉個人の内面が強く表現されているところに特徴がある。

咲く心
うれしきは
こころ咲きいずる日なり
秋 山にむかいて うれいあれば
わがこころ 花と咲くなり
『秋の瞳』

一度読んだだけで読者に美しさが伝わってくる詩であるしかしよく読んでみると、外側からながめた美しさではなく、重吉の心が花と咲いた美しさである。

果物
秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい
『貧しき信徒』

重吉は、四季の中では秋を一番愛したようであるが、この詩も秋の自然の美しさは伝わって来ても、決して外側からながめてうたってはいない。重吉の感性が果物に反映されて描き出されている。いわば、自然物を対象としてながめるのではなく、自分の心の化身としてとらえている。

花はなぜうつくしいか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ。
「ノートA」

ひとすじの気持ちで咲いていると花を擬人化して表現しながら、実は重吉の心がひとすじなのである。

できることなら
くだものさへ殺さずに行きたい
詩稿「論理は溶ける」

どこを
断ち切っても
うつくしくあればいいなあ
詩稿「美しき世界」

この二つの詩に見られるような、純粋で透明な重吉の心の美しさが、彼の詩の美しさを築きあげている。

愛の家
まことに 愛にあふれた家は
のきばから 火をふいてるようだ
詩稿「ひびいてゆこう」

わずか二行の短い言葉で、なぜこんなにも温かい家庭を表現できるのだろうか。のきばから火をふいてるようだという表現の的確さ、強烈さがすばらしいことはまちがいない。しかし、この二行の詩は、やはり、一般的な哲学として愛情に満ちた家庭を描いているのではなく、家族を愛し、むつまじい家庭を築きあげていた重吉の心の美しさから生まれた詩である。

多くの矛盾をもつ現実社会の中で、「うつくしいもの」を追い求めていくと心が疲れる。私たちの多くはそこで挫折してやめてしまう。しかし純粋さを失いえない重吉は、詩を作ることを通して一生「うつくしいもの」を追求し続けた。そして彼の詩の中に、彼自身の美しい心が輝いている。対象として描かれるものより、彼自身の心が先に描かれてしまう。それが重吉の特徴である。

2 死の問題

無造作な雲
無造作な雲
あの雲のあたりへ死にたい
ふかい空
『秋の瞳』

風が鳴る
とうもろこしに風が鳴る
死ねよと鳴る
死ねよとなる
死んでゆこうとおもう
『貧しき信徒』

死という言葉が入った詩がかなりある。それも死をあこがれているように自然にでてくる。それでいて自殺を求めるというような暗いイメージではない。これは、重吉が死の哲学というべきものをもっていたからである。青春期に人間は、遅かれ早かれ、死について考える。その出発点は、自分という人間存在の弱さを自覚することにある。重吉の場合、それを早くから自覚していたような気がする。そして一つの人生哲学として確立したのは、キリスト教との出会いによってであろう。キリスト教信仰の基礎は、人間が神の前には弱い罪人だという認識にある。もちろん信仰者でなくても、弱さを自覚し自分の無価値さに沈んだ気持ちになり、その苦悩の中から生き甲斐を求め、大人へと成長してゆくものである。しかしキリスト教の中心と言える神の救いを知り、神と共に生きる道を見い出した者の特徴として、死が、恐るべきものから人生を真剣に生きるための土台としてとらえられるということが起きてくる。多くの人々は、死について一度は考えるという経験をもっても、大人になるに従って忘れてしまう。縁起が悪いと言って、口に出さないものである。信仰を持った重吉の場合、それとは全く違っている。彼の御影時代の日記を見るとよくわかる。

自分は死をみせつけられぬと真剣になれない人間らしい

「今日」に生きよ、人の計画を今日以上に延ばすな、明日は死んでもよいだけの仕事をせよ

「死」の土台の上へ、自分の生活を築きたい

この死の哲学は、私自身のそれと全く同じであり、私は、亀井勝一郎の著作を通してこの死の哲学を学んだ。

死の観念は我々の心を浄化してくれるだろう。「死」を自分の前にはっきり据えたとき、はじめて自分のぎりぎりの生が見えてくるのではないか。つまり自分の本音の存するところ、心からの願ひがみえてくる筈だ(亀井勝一郎著「人生に対する私の態度」より)

亀井勝一郎は浄土真宗の徒であるが、非常にキリスト教的な捉え方を理解している人である。私の場合、大病したことはないので、死の哲学と言っても、観念的な面が強いが、重吉の場合、実際の体験を経ている。彼は学生時代の後半スペイン風邪にかかって、死ぬかと思われたほどの大病をしたのである。そして詩の中にあれほど多く死という言葉を使ったのが、予言であったかのように、不治の病にかかり、死ぬ前の最後の二年間は、実際に迫り来る死の予感の中で詩を書き続けていくのである。

丈夫で
長生きしたい
そして子供等を一人前に
育てあげたい
「ノートA」

これが人間としてまた親としての本能的な気持ちである。決してむやみに死を願っているわけではない。結果的に死が二十九歳という早い時期に訪れてしまい、死に対する不思議な予感が重吉にあったような気がするが、単なる予感だけでなく、死を眼前に据えた人生哲学をはっきりもっていたことを私は指摘したい。信仰によって可能となった捨て身の生き方を重吉は目指していた。次の詩がそれをよく表現している。

まことに
弱いということは或る意味で罪悪である
「死」を背中にしょってやってみるのだ
一かバチか捨て身でゆくのだ
自分を全部投げ出してしまえば
そこではじめて強いも弱いもなくなる
その全部というのが難しい
いこじでも自棄でもない
真正面から 毛ほどのすきもない 捨て身である
詩稿「晩秋」

3 信仰と詩作の葛藤

重吉は詩人であると同時にクリスチャンであった。このことは私たちの興味を引く一つの問題を提供する。文学と信仰の問題である。重吉の詩においても、とくに時代の後半から、信仰の相克あるいは一致の問題が、ひとつの大きなテーマとしてクローズアップされていった。

多感な青春期に若者は、日記を書いたり詩を書いたりすることが多い。いわば文学創造の芽がである。しかし多くの人々は大人になるにつれて、内的な感動を失っていくためか、だんだん書かなくなる。このことを裏返してみれば、詩人を始め文学創造を続ける人は、自分のうちに湧き上がってくる何かをもっているからと言える。客観的に対象物だけをうたう人もいるかもしれないが、多くの場合、自己の内部にある感動や苦悩を表現するものである。ある意味で詩を作ることは、自分がエゴイストになることである。

一方信仰は、自分のエゴを罪として神の前に悔い改め、神に自分を明け渡して救いを得ることである。神の御旨、隣人への愛が先に来る。自己犠牲の精神に動かされて行動する者である。この自己の内面の基本精神の違いが、信仰を受け入れた文学者に内面の葛藤を起こさせる場合が多い。そして一方を捨てるかあるいは一方がもう一方に仕えるという結果になりやすい。近代文学史の初期の段階において、一度はキリスト教に感化されながらやがて離れて行った文学者がかなり出た時期があった。北村透谷、島崎藤村、正宗白鳥、国木田独歩、有島武郎、志賀直哉など有名な作家たちは、青年時代にキリスト教に触れ、その感化をうけたが、ついにキリスト教信仰者とは言われなかった。明治新語の西欧文明の流入と共に入ってきたキリスト教から、西欧精神だけを学び取って(例えば個人の尊厳の思想、自由平等の思想等)、信仰は拒否した。唯一絶対の神の存在や人間の罪の捉え方などにおいては、受容がむずしかった。それはたぶん現在も言えることであろう。

さて重吉に戻るが、結果として言えば、詩と信仰の共存がかなりうまくいった人だと思う。ただしそれは結果としてであって、その過程においては、激しい内面の葛藤を示している。それは重吉が純粋で、素直に自分の内面を詩に表現したが故に、真実な体験として読者に迫ってくる。彼の詩の中からこの葛藤を見て行こう。

詩はわたくしをエゴイストにつくる
だがおぢいさんの病みほそったからだを洗ってやったとき、
ちいさい妻の
はたらき疲れてうたたねするその横がほにみいったとき、
そして、むちむちとむしょうにふとる
わたしのもも子ちゃんを抱きしめるとき、
「私の詩より大切だ!」とこころにさけんだ。
詩はたとへちからづよい誘引であるにしても
それはもっとすばらしい磁力がくるまでの
一つの小さい磁力にすぎぬようでもある、わ。
詩稿「鳩がとぶ」

重吉は詩を書きながらも、ここでは詩よりも大切なものがあることを意識している。たぶんそれは信仰から来るものである。しかし重吉はまだ観念的に死より信仰の方が大切だと思っているだけであり、詩は自然と重吉の心に生まれて来てしまう現実があった。

かなしさがながれる日
わたしの詩はうまれるのです
さぶしさがかがやく日
わたしのこころは高原をゆくのです
詩稿「不死鳥」

かなしさやさぶしさが重吉のこころに湧き上がってくる限り、詩を捨てることはできない。彼の詩とはそういうものであるが故に、決して商業詩人ではありえない。真理を求める「まことの詩人」としていきていこうとするのである。

いまの詩人は
道路のような詩人がおほい
わたしは
川の流れのような詩人でありたい
詩稿「神をおもふ秋」

道路のように、人工的に作り上げたものでなく、川の流れのように、しぜんのままに生まれ出る詩を書いていくのである。

ほんとうに
しぜんに詩の生まれる日は
じぶんみづからがとほとひものになったとおもふ
いのちがあることがたしかにかんじられる
みづからがかみのこころの窓となり
わたしのうたは
わたしのもつかみの観念とおなじたかさからながれいづる
詩稿「貧しきものの歌」

自分のエゴからでなく、神の御心にかなうような自然に生まれ出る詩を書いていこうとする姿勢は、詩人の立場を維持しつつ、信仰との一致を求めて行こうとする姿勢を表している。しかし詩と信仰の合一なんて簡単にできるものではない。しばらく平安が来たかと思うとすぐに、信仰者の立場からの断罪がなされる。

あるときは
うたをつくるのさへ悪であるとおもふ
こんな詩などつくらなければ
ほんとにわたしのせけん的のよくぼうはなくなる
そうしたら一挙にわたしのこころはきれいになってしまうかもしれぬ
だがまたかんがへてみれば
たったひとつの手すさびでありほこりである
かなしみでありよろこびである
詩をつくることをすててしまふなら
あまりにすきだらけのうつろすぎるわたしのせかいだもの
ここにこうして不覚の子は
歯をくいしばって泣くまいとしてうたをうたふ
詩稿「ものおちついた冬のまち」

信仰の目から見たら、詩を作るにも世間的な欲望の一つにすぎないのではないかという思いが、重吉の心の一隅にある。神様だけを信仰し、他の一切の欲望は断ち切るべきではないかと悩む。その方が美しく安らかな生活を送れるかもしれぬ。しかしそうは思ってみても、やはり詩を作らないではいられない。詩を作ることを止めてしまったら、自分の生活が空虚になってしまう。ほかに何もいらないから、詩だけは私から取らないでくださいと願うような重吉の気持ちである。

それにもかかわらず、柏時代になると、ますます信仰からの断罪に責められる。詩人として絶頂期に達したと思われるこの時期、すばらしい詩が生み出されているにもかかわらず、彼の内面は、詩と信仰の相克で、ぎりぎりの状態まで追い詰められていく。

わたしが
詩をすてるとき
わたしはほんとのひとになれる
詩稿「桐の疎林」

私の詩よ
つひにひとつの称名であれ
詩稿「桐の疎林」

後者の詩には、称名という仏教用語が出て来るが、重吉は学生時代、倉田百三の『出家と弟子』を夢中になって読んだことがあり、キリスト教と似ている浄土真宗に共感する点があったのであろう。重吉の幼少年時代の原体験からしても、また理論的な信仰者でなかった重吉からしても、自然に称名という言葉が出て来たと思われる。とにかくこの部分は、詩は信仰に仕える僕としての役目を果たすべきだという姿勢の表現といえる。

詩をつくり死を発表する
それもそれが主になったらあさましいことだ
私はこれから詩のことは忘れたがいい
結局そこへ考えがゆくようでは駄目だ
イエスを信じ
ひとりでに
イエスの信仰をとほして出たことばを
人に伝えたらいい
それが詩であろう
詩でなかったら人に見せない迄だ
「ノートA」

信仰ひとすじの道へ飛躍しようとする重吉の思いは、ますます強められ、病床で次のように書きつける。

わが詩いよいよ拙くあれ
キリストの栄え、日ごとに大きくあれ
「ノートE」

病気になる前から死を眼前に据えた生き方を求めて来た重吉が、現実に迫り来る死を予感した時、詩作よりも信仰に生きる姿勢を優先させようとしたのは当然かもしれない。しかし重吉は詩を捨てることはしなかった。信仰のつぶやきとも言える詩ではあったが、彼は最期まで詩を書き通した。御影時代に彼が本格的に詩作を始めてから、彼は一度も詩筆を折らず書き続けてきた。信仰の道へ進むために詩を拙くしようとする気持ちがあっても、それは詩を捨てることでなく、むしろ逆説的に詩を書くことによって、重吉の信仰への求道が深まっていくという現象がみられるのではないかと思う。柏時代に書かれた次の詩を見ていただきたい。

私の詩
裸になってとびだし
基督のあしもとにひざまづきたい
しかしわたしには妻と子があります
すてることができるだけ捨てます
けれども妻と子をすてることはできない
妻と子をすてぬゆえならば
永劫の罪もくゆるところではない
ここに私の詩があります
これが私の贖である
これらは必ずひとつひとつ十字架を背負ふてゐる
これらはわたしの血をあびている
手をふれることもできぬほど淡々しくみえても
かならずあなたの肺腑へくひさがって涙をながす
詩稿「晩秋」

生け贄としての詩、これが重吉の詩であった。すべてを捨てて基督(神)の前にひざまづきたいほどの信仰を求めてはいても、現実に生活を共にしている妻子を捨てることはできない。妻子という隣人を捨てることは、隣人を愛するという信仰の実践にそむくことである。妻子は捨てられないけれど、神にはできるだけ近づきたい。その時、彼の詩が生け贄として神にささげられる。彼の詩はもう、重吉のエゴを示すものでなくなっている。キリストが罪の身代わりに十字架にかかったと同じように、重吉の詩が、重吉のエゴ(妻子を捨てられないというエゴ)の身代わりとして神にささげられる。ここにおいては詩か信仰かの相克を越えて、詩が信仰への飛躍を助けるバネとなっている。

これ以上一歩も後ろへ退くことができないという極限の状況まで自分を追い詰めながら、詩人であることも信仰者であることも失わなかった重吉は、詩と信仰の共存ができたと結論付けていいのだと思う。この共存は、護教的詩人や信仰を飾りとした詩人という方法の共存ではなく、血を流さんばかりの必死の求道の上に立った共存である。このような詩と信仰の共存を見せた詩人はあまり他に例をみない。

さて詩と信仰の問題を見ることによって、人生の真剣な求道者八木重吉の姿がはっきりと浮かび上がってきたような気がする。私も、文学を愛好するクリスチャンなので、文学と信仰の問題に関心を寄せ、内的な葛藤を経験したこともあった。しかし重吉のような極限状況まで自分を追い詰めて行くような葛藤はなかった。それだけ私には真剣さが足りなかったと言ってよいだろう。重吉の詩を一見して、私にも簡単に書けそうだと、多くの人々はおもうかもしれない。しかし、重吉の内面に展開された求道の旅を考えると、決して私にはまねができない詩だと思う。重吉の詩から感じられる純粋さ、真摯さ、信仰の求道などは、実は、彼の魂の奥底から出て来ているものである。詩を書くときだけ聖なる思いにひたるという類の詩人ではない。彼の生き方そのものが詩となって表出してきているのである。だから、重吉の詩を愛することは、私自身が、重吉のように人生を純粋に真摯に生きようとする姿勢を持ち続けることである。

*いろいろな愛好者がいて、それぞれの詩の見方をしているので、この文章は小林個人の1視点から見た重吉の詩の感想です。今後いろいろな人の文を紹介して、各人の詩観を紹介して行きたいと思っています。