「八木重吉の伝記」の研究

1.一般的に知られる研究状況

29年の短い生涯、文壇ではいわゆるマイナーな詩人、人々との交流が少なかった孤独な詩人、ゆかりの地で重吉と接した人々がほとんど他界されていること、学生時代の日記が火事で焼失したことにより、基本的に伝記的情報は少ない。

その中で、昭和40年に関茂著『八木重吉―詩と生涯と信仰―』が出て、重吉の生涯の概要がまとめられ、昭和44年には、田中清光氏による評伝『詩人八木重吉』が出て重吉の全貌が語られた。昭和51年に、身近で重吉を支え詩稿を必死に保存してきた吉野登美子夫人(吉野秀雄と再婚)の『琴はしずかに』が執筆されて、家庭側からの重吉像が理解できるようになった。田中清光氏がその登美子さんとの交友の中で、全集の計画が生まれ、昭和57年『八木重吉全集』3巻が刊行された。田中氏は昭和59年には、文壇関係の資料も集めた文学アルバムを刊行し、一般的な重吉像がほぼ明らかにされた。

クリスチャン詩人と言われる重吉にとって、信仰は重要な要素であり、詩を通しての類推研究は進んでいるが、信仰が本格的に形成された高等師範学校時代の記録が、日記の消失で無いため十分な伝記的研究がされていない。そして「内村鑑三の影響を受けて無教会の信仰」という記述がまだ広く流布している。田中清光氏の評伝で富永徳麿との関係が明確に言及され、また平成15年に出た今高義也氏の『八木重吉とキリスト教」でさらに綿密に記述されているにもかかわらず、孤高の詩人という重吉のイメージと、富永徳麿の知名度の低さのせいか、「内村鑑三・無教会」という理解に留まってしまっているのが残念である。

今後、従来からの八木重吉像をひっくり返すような研究は出てこないと思われる。残されているとすれば、ゆかりの各地で、直接重吉と接して交流をもった人から間接的に耳にした情報や、記録として残りながらも隠れている細かな情報である。重吉の詩を鑑賞し、文学的、信仰的、美術的なアプローチからの批評や論文は、これからも出ると思われるが、伝記的な研究は少ないと思われるので、この分野での研究者が出て来てほしいと願っている。

2.「八木重吉の詩を愛好する会」(以後「愛好会」と略す)の望む方向

(1)八木重吉記念館が公的に保護され、中にある資料の研究が
進むことを応援すること

重吉研究の拠点は、何といっても重吉生家の記念館である。ここにある資料で、まだ研究余地のあるものは多くある。しかし今は、どれも貴重な資料として痛まないように保存することで大変である。生家の八木藤雄さんが、高齢ながら必死に守っている。やがては、科学的なきちんとした保存環境が造られ、原資料を痛めないまま、そこに秘められている研究資料をコピーやデジタル資料として取り出し、それを研究資料としてまとめる作業が必要であろう。私としては、ゆかりの地の町田市の文学関係機関に期待している。八木藤雄さんの思いを理解しつつ、公的な財産にしていくことを望んでいる。

(2)柏に研究の拠点をつくり、隠れた資料を集め保存し、
後世に残すこと

柏にある愛好会は、結成当時の詩碑建立と、重吉の詩を愛し鑑賞する事に加えて、重吉関連の情報提供(会報の発行等で)、全国の愛好者の輪を結ぶ活動(ゆかりの地訪問、茶の花忌での交流等)を展開してきたが、やはり高齢化で自由に動き回ることが難しくなりつつある。しかし今までの活動を通して全国的な視野は出来た。まとまって大きな活動をするまではできていないものの、夢はまだ持ち続けている。

重吉愛好者が集まる中心としての町田市の八木重吉記念館を助けて行くことを前提に、柏に重吉研究の拠点を作ること(仮称「八木重吉研究所」)、ゆかりの地や愛好者が持っている、隠れている細かな資料を集め整理し展示して情報提供することである。そこでは重吉の研究をしたり、詩の鑑賞をしたり出来、純粋な魂の重吉の心に触れることができる、そんな場所の提供である。本当は、柏の他にも、ゆかりの地として重要な御影にも茅ケ崎にもできてほしいが、推進組織が十分ではない。柏がまず率先して行動しなければならないと思っている。

初期の活発に動いた愛好会の活動を、1995年に10周年記念誌『いっぽんのみち』としてまとめ、また柏の八木重吉の姿を伝え、それに全国的な資料(詩碑の分布図)を加えてまとめたものとして、2012年に『柏時代の詩人八木重吉』を発行したが、今後このような整理した冊子を作って、後世に残していくことも大切な愛好会の役目だと思っている。