詩碑
- 素朴な琴 (出典『貧しき信徒』)
- ふるさとの川 (出典『貧しき信徒』)
- 飯 (出典 重吉詩稿「断片詩稿」)
- ねがひ (出典 重吉詩稿「ひびいてゆこう」)
- 蟲 (出典『貧しき信徒』より)
- 夕焼 (出典 重吉詩稿「日をゆびさしたい」)
- 幼い日 (出典『秋の瞳』)
- 原っぱ (出典『文章倶楽部』投稿詩)
- ひびいていこう (出典『貧しき信徒』)
- 花 (出典 病床ノオト「ノオトA」)
詩碑「素朴な琴」
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう
・町田市生家(相原町4473)建立年 昭和33年
・町田市小山田桜台1-20(昭和59年)
昭和31年の没後30周年記念会(中野文化会館)をきっかけに地元中心に浄財が集められ、33年4月27日に除幕式。4月15日には吉野秀雄一家の尽力により『定本八木重吉集』が刊行。昭和59年(詩碑に記録なし)、住宅都市整備公団の尽力により、小山田桜台の集会所脇にも建立。
詩碑「ふるさとの川」
ふるさとの川よ
よい音をたててながれているだろう
・町田市相原幼稚園(町田市相原町4445-3)
・昭和52年
昭和51年に開かれた没後50年祭をきっかけに地元の人々中心に浄財が集められ、昭和52年5月26日に除幕式。
詩碑「飯」
この飯を欲しいとだけ思いつめるだろう
・相模原市川尻小学校(相模原市緑区久保沢2-2212)
・昭和52年
「ふるさとの川」と同時に建てられた。この周辺は自由民権運動のさかんだった地域の一つであり、この詩にはその雰囲気が感じられると鈴木亨氏は指摘している。
詩碑「ねがひ」
美しくみよう
わたしと人とのあひだを
うつくしくみよう
疲れてはならない
・町田市大戸小学校(町田市相原町2765-3)
元大戸小学校校長の西山健太郎さんが、小学校創立10周年を機に、地元の相原保善会の協力を得て平成6年3月26日に建立除幕。
詩碑「蟲」
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙をさそわれる
・茅ヶ崎高砂緑地(茅ヶ崎市東海岸1-4)
・平成17年
重要なゆかりの地の一つである茅ヶ崎に是非詩碑をという、全国のファンの気持ちに答えて、平成16年「八木重吉の記念碑を建てる会」(代表川井盛次氏)が発足し、一年余りの運動を経て、平成17年10月2日に除幕。
詩碑「夕焼」
手をふり
手をふり
胸にはちさい夢をとぼし
手をにぎりあわせてふりながら
このゆうやけをあびていたいよ
・神戸市御影中学校(御影中町5-1-1)
・昭和52年
御影師範学校の卒業生達が、昭和50年に学校創立50周年誌を出すために集まったのを機に、重吉生家や登美子夫人を訪問したとき、詩碑がまだ一基しかないことを聞き、御影に詩碑建立の願望を持ち、当時の教え子達に呼びかけた。猿丸さん、藤原さん、飛松さん、門脇さんらが熱心に活動し、昭和52年10月26日に除幕した。
詩碑「幼い日」
水がもの言う日水がそだてば
そだつひびきがきこゆる日
・西宮市夙川(しゅくがわ)公園
(兵庫県西宮市夙川河川敷緑地内)
・昭和55年
昭和55年の国際児童年を記念して地元の戎ライオンズクラブが、教育や文化活動に寄与していた岩城康隆氏に、記念になるものを依頼した時、重吉の愛好家であった岩城氏は、教育的配慮もして、「幼い日」を選定。自ら字を書き、3月8日完成。
詩碑「原っぱ」
ひろい原っぱだ
いっぽんのみちを
むしょうにあるいてゆくと
こころが
うつくしくなって
ひとりごとを
いうのがうれしくなる
・柏市東葛飾高校(柏市旭町3-2-1)
・昭和60年
昭和60年2月に結成された「八木重吉の詩を愛好する会」が、詩碑建立を呼びかけ建立委員会を組織し、東葛飾高校同窓会を中心に働きかけ、浄財を募り、10月26日に完成、11月4日に除幕式を行った。
詩碑「ひびいてゆこう」
びんびんと ひびいてゆこう
・西尾市:八ツ面山(八ッ面町麓78-1)
・昭和61年
〈人の心を揺り動かす本物の文化ゾーンづくり〉を目指す「ふるさとに詩碑を建てる会」(代表者杉浦祖玄さん)が人々の協力を得て(詩みずからが人々の心を打ち、建立を導いたと杉浦さんは言う)したもの。同時に坂村真民氏の「念ずれば花ひらく」の碑も除幕されたが、仏教の心を伝えるためにこの碑は世界各地に建てられているという。
詩碑「花」
ひとすじの気持ちで咲いているからだ
・西尾市みどり川沿い(西尾市永楽町4丁目)
・昭和63年
「ふるさとに詩碑を建てる会」(代表杉浦祖玄さん)が、吉野登美子夫人の「和愛」、吉野秀雄さんの歌「わが胸の底ひに汝の恃むべき清き泉なしとせなくに」と共に建立。詩人の杉浦さんが登美子さんとの親交を通じて実現した。